さまよう刃(2009,日)

さまよう刃 〜さまよう竹之内(中二病)。〜



試写会の入り口でもらったチラシ。原作者・東野圭吾のコメントにはこうあった。「この作品の映像化は困難であったろうと素人ながらに想像する。光も華もないストーリーなのだ。だが完成作を見て唸った。さすがはプロたちだ。」

やべえ,何だか危険な香りがする。「ドラゴンボール・エボリューション」を見たときにも感じたぞ。原作者は表現のプロだ。「おもしろくない」と言わずにおもしろくないと伝える方法を知っているのだ。

そして開始から1分。さっそくこの映画のどこがおもしろくないのか、を考えるはめになる。この作業は2時間近く続くことになる。あー、この時間に原作を読むべきだ。きっと原作は面白いはずだ,そうに違いない。

ここからは,2時間の思索の成果である。

映像的表現の美しさも、人物描写のリアリティも、観客をひっぱって離さない脚本も、とにかく、映画が映画であるために必要な要素が、何もかもないのだ。

まず印象的なシーンがない。見終わって2時間,何のシーンも浮かんでこない。
人物描写が浅い。父親が問題の行動に走る動機が足りない。つまり娘に対する父親の強い愛情が分からない。「気をつけて帰って来いよ」と晩ご飯の鍋準備で,愛情描写はオーケーと思っているらしい。そうでなければ,「娘を持つ父親であれば当然」という前提のもとで愛情を描くべき部分を省略している。
最もひどいのは警察官の役割。被害者側とは別の視点を設定しようとしているのだろうが,いろいろ崩壊している。竹之内さんは「おいおい,警察官になって何年経つんだよ」とつっこみたくなるほどに,いい歳して中二病だし。同僚たちのキャラクター設定には悪意があるとしか思えない。伊藤四郎のキャラも無駄に意味ありげで,そこがイミフメー。
ストーリーについても、想像力のない人が好みそうな浅い浅い公務員・警察批判、「最近の若者」批判、少年法批判……。これらの観点に原作がどのように切り込んでいるのかは分からない。ちゃんと意味のある描き方をしているのだろうと思いたい。しかし少なくとも映画はサイテーだ。想像することも創造することもしていない。

結論として,絶対的にセンスがない。たぶんこれに尽きる。

いやーこんなひどいの久々に見た。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「ボーイズ・ドント・クライ」を思い出すほどのひどさだ。