脳内ニューヨーク(synecdoche,NewYork、2009、米)

脳内ニューヨーク 〜死ぬまで自分探しはツラそうだ〜


シネリーブル博多駅で観賞。ポイントがたまっていたのでタダで観ることができてラッキー。
平日18:30のミニシアターには、若いカップル、女性1名、サラリーマン風の中年男性1名、老夫婦、そしてワタクシ。おぉ、意外と観客が入ってる。へたすりゃ一人で観賞かとも思ったけど。

愛すべきメタボちゃん、フィリップ・シーモア・ホフマン演じる演出家ケイデンの自分探しの旅。基本的な視点はケイデンを追う第三者。ただし、ことあるごとにケイデン自身の想像というか認識というか希望というか、まぁようするに幻覚なんだけれど彼自身の視点が入り込むため、観ている側からはどこまでが現実におこっっている出来事でどこからがケイデンの幻覚なのかがはっきり分からないようになっている。
幻覚は物語が進むにつれて次第に激しさを増していく。序盤はほんの少し、テレビのアニメーションに彼っぽいキャラクターが映っているくらい。そのうちカウンセラーの女性がはいているピンヒールサンダルの足への食い込みがものすごいこと(青アザ)になったり、ヘイゼルの家がいつも燃えていたり、妻に連れられて出て行ったっきりずっと会っていない娘オリーヴが残していった日記帳に次々と新しい日記が書き込まれていったり。
これらの妄想が単なるお飾りだったら物語はもう全くイミフメーなんだけど、これがちゃんと,少しずつ物語の進行にかかわっている。上に挙げた幻覚(もはや幻覚かどうかも怪しいが)はヘイゼルとの別れ方やオリーヴとの再開にもつながる。
それからはじめチョイ役だと思っていた人物が後々重要人物になってきたりする。サミーとかエリンとかね。つーかエリンの母親ってなんだよ、わかんないよ!

で、内容はというと、おもしろかった、と言ってよいのかどうかよく分からない。配役とか設定とか脚本とかよくできていると思うんだけど、なんちゅーか、ドラマを読み取ることが非常に難しい。
ケイデンはいつも孤独感にさいなまれていて、そんな彼を支えてくれそうな人は何人も登場するんだけれど結局みんな彼の元を去っていく、彼の孤独感は深まっていく……。って、自分から手放しているんじゃん!
彼は演出家としていろんなものをクリエイトしているようだが、ある意味では何もクリエイトしていない。サミーもクレアもヘイゼルも、ケイデンとかかわりながら悩み苦しみ葛藤し、なかは新たな道を見つけた者もいるのに、ケイデン自身は結局最後まで自分と戦ったり問題を乗り越えたりすることはない。このことが,ケイデンをフォーカスすることで進行する本作品において私がドラマ性を見出すことに苦労した要因だと思う。

それにしても、意外と書くことあるな。ということはやはり面白かったのかな。うむ。