かいじゅうたちのいるところ(Where the wild things are, 米,2009)

かいじゅうたちのいるところ 〜かいじゅうたちの青春映画〜


2010年,一発目の試写です。
原作は同名の絵本。何でも世界中で何百万冊も売れた超有名作品らししいのだが,読んだことがないため予備知識はゼロ。監督は「マルコビッチの穴」のスパイク・ジョーンズ

上映開始してしばらくは純粋そうな男の子がスクリーン上を駆け回る。……10分経過,まだ続く。正直はじめの30分は退屈だ。おそらく主人公マックス君が”かいじゅう”たちと出会うまでの大事なプロセスなのだろうけど。

開始から約30分,ようやく”かいじゅう”登場。しかしいまだに話の筋が見えない。見えないないからどういう心積もりでストーリーを追えばよいのか分からない。安心して会話の内容を観ていてよいのか?それとも会話の内容に大した意味はなく,むしろ彼が”かいじゅう”から食べられないかどうかを心配しなければならないのか??

というわけで,ずっと私は,マックス君がいつ”かいじゅう”たちを怒らせてぶっ殺されるのか,と,もう心配で心配でハラハラハラハラしてました。

そもそも脚本がひどいよ。原作があるのは分かるけど,映画化は原作を追えばいいってもんじゃない。中盤でマックス君は自分の家族を振り回すだけじゃなく”かいじゅう”たちの関係性もめちゃくちゃにしていくが,それの何が「いいアイディア」なのか分からんし,他にも意味ありげで意味がない(消化不良なのか?)行動が多い。純粋さゆえに他人を傷つけてしまう……みたいなこと描きたいのかも知れんけど,描けてなくて話が混乱してます。

後半(それもラスト30分ぐらい)になってようやく少しずつ理解。ああ!かいじゅうたちも人間と同じ問題抱えてたのね。しかしだとすると,この”かいじゅう”ってばすっげー理性的。なんか家族の縮図ってより現代社会の人間関係って感じに,友情とか愛情とか自立とか依存とか尊厳とか,要するに一人の個人として認めてほしいってことをみんなが主張してる。なんだー,かいじゅうたちの青春映画だったのか。

それから人間(あるいは”かいじゅう”との)関係の描き方もいまいち。主人公は姉,母親とも葛藤があったのでは?また”かいじゅう”同士も葛藤があったのでは?だいたいマックスはなぜ”かいじゅう”たちに食べられずに認めてもらうことができたのか??マックスが”かいじゅう”たちに気に入られる要素が分からん。

世界観はよかった。乾燥したかいじゅう島の荒涼感は一瞬で人間が住んでいないことを理解できる。みんなで作った家のデザインは非常にかっこよかった。”かいじゅう”たちがCGではなく着ぐるみ(正確には表情を出すためCG編集しているらしい)というのも評価が高いらしいが,この点については正直,薄汚れていて汚いという印象(スミマセン)。

日本語吹き替え版の主人公は加藤清史郎だそう。これはナイスキャスティング。いやむしろ,マックス役を彼が演じてもよかったんじゃない?生意気そうなところとかピッタリじゃない!うーん吹き替え版で観たかったな。